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体外離脱の世界

関連文献の紹介「意識と科学」

人間の意識は唯物論的(物質論的)な考え方ですべて説明できるのだろうか。それとも、説明がつかないものなのだろうか。
この点に関し、現代科学の研究はどこまで進んでいるのだろうか。
いくつかの本を順次参考文献として取り上げていく。

1)
深層からの回帰(青土社) スタニスラフ・グロフ ハル・ジーナ・ベネット

LSDによるサイケデリック・セッション(四千例)とホロトロピック・ブレスワーク・セッション(二万例以上)でのさまざまな人々の非日常的意識状態体験を基に人間意識の深層を探求し、トランスパーソナル心理学を作り上げたスタニスラフ・グロフが、人間意識の構造について自身の理論を集大成し一般読者向けに書いた本である。

ここでLSDセッションはLSDのもたらす種々の精神的肉体的問題が判明する以前(50-6 0年代)に行われたものである。
ホロトロピック・ブレスワークとは非日常的意識状態を誘発するために彼と妻のクリスティーナにより80年代になって開発された方法であり、具体的には呼吸法、音楽音響効果、ボディー・ワーク、芸術表現を組み合わせた方法である。
世界各地でワークショップを開催しているとのことである。
グロフはこれらの方法で誘発される非日常的意識状態を通して、無意識や超意識を探求し、意識の構造を明らかにしてきた。
明らかになってきたことは意識には三つの領域があることである。
まず、幼年期や子供時代の記憶からなる回想的、自伝的レベルであり、この中には「個人的無意識」と呼ばれる部分も含む。
二つ目は分娩前後の記憶のレベル、三つ目はトランスパーソナルなレベルである。ここは身体や自我の日常的な限界をはるかに超越したレベルで、ユングの集合的無意識、宇宙全体と直接的につながるレベルである。

明らかにされてきた事柄は実は人類にとっては何千年も前から知られていたことであった。つまり人間の意識にまつわる古代の知恵(シャーマニズム、ヨガ、東洋の霊的哲学、ユダヤ、キリスト教などの神秘主義的諸派)を再発見しているに過ぎないことがわかったのである。

非日常的意識状態での具体的な体験は以下のように分類される。

  • 分娩前後の体験
    第一マトリックス(羊水的宇宙)
    出産が始まる前の子宮内での体験に関係。至福、完璧な充足感、全宇宙との一体感を 体験。
    第二マトリックス(宇宙への吸引と出口なし状態)
    収縮が始まっても子宮口が開いてない時の体験に関係。
    第三マトリックス(死と再生の葛藤)
    産道を通過するときの体験を反映。
    第四マトリックス(死と再生)
    母体から離れる時の体験と関連。
  • トランスパーソナルな(個を超えた)領域
    この領域は次のA、B、Cの三つに分けられる:
    • 日常の時間と空間の概念の範囲内における意識の拡大ないし拡張
      • 物理的境界を超えた体験
        他者との同一化、集団意識との同一化(ある特定の集団の感情を体験する)、動物、植 物意識の体験(鯨やセコイアになったりする)、物質意識の体験(水、火、土、山、地震、 竜巻、ダイヤモンドなどの鉱物になる体験)。
      • 時間的境界を超えた体験
        胚と胎児の体験、両親の子供時代・青年時代の意識体験、先祖や自分の属する民族 の過去における一個人の体験の追体験、別の民族の一個人の体験の追体験、自分の 過去世を体験。
    • 日常の時間と空間の概念を超越した意識の拡大ないし拡張
      • 死者との遭遇
      • オーラを見る体験
      • 動物霊との接触
      • 指導霊や超人間的存在との遭遇
      • ユングが元型と呼んだ宇宙的普遍的原理との遭遇
      • 普遍的なシンボル(卍など)の直感的な解読
      • 宇宙の創造原理との遭遇、宇宙意識体験
      • 空の体験
    • プシコイド性(魂の領域にも物質的世界にも属さず、意識と物質との奇妙な中間領域に存在する)の体験
      • 共時性(シンクロニティ)
      • ポルターガイスト現象
      • UFO
      • 念力
2)
「量子力学が語る世界像」(講談社ブルーバックス)和田純夫

以下に本書の概略を記す。

現代物理学において相対性理論と共に一つの柱となる量子力学は、その誕生当時から一つの問題を抱えている。
原子や電子、原子核といった量子力学が扱うミクロの世界と、我々が日常扱っているマクロの世界とをどのように結びつけるのが正しいのか、それについてさまざまな理論が展開されたが(これらを解釈論と呼ぶ)、いまだに決着が付いたような付いてないような状態にあるのだ。

解釈論の正統派は「コペンハーゲン解釈」である。
それに対して、本書で解説するのは「多世界解釈」と呼ばれるものである。今世紀中頃、エベレットにより提唱されたが、最近になって宇宙全体を量子力学的観点から見る必要性が出てきて、ふたたび注目されるようになった。

「コペンハーゲン解釈」とは「波の収縮」と「確率解釈」を公理とする。
電子の状態は波動関数で表される波として計算されるのに、観測した時点で急に粒子のように振舞う。広がっていた波は観測される点に突然集中してしまう。これを波の収縮という。
確率解釈とは波動関数の絶対値の二乗が観測結果の確率を表すとするもの。

「コペンハーゲン解釈」へは次の疑問点が挙げられる。
電子は「波としての変化」と「波の収縮」を繰り返すことになる。
波としての変化はシュレディンガー方程式で表せる。
ところが「波の収縮」はまったく人為的なもの。人間が観測したからそこに収縮したのだというだけで、なぜ収縮するのか。
ボーアは波の収縮を量子力学で表されるミクロな世界と量子力学では記述できないマクロな観測装置との関わりにより起こると表現した。
しかし、具体的にどのような関わりによって波が収縮するのか明らかにしていない。またマクロな観測装置にしても原子から構成されていることにはちがいがない。

ここで「多世界解釈」が登場する。
電子の広がった波全体は「電子の位置の決まっている状態」に細分割できる。もとの広がった波全体は、電子がさまざまな位置にある状態(世界)の「共存」だと解釈できる(P87)。
電子のようなミクロの対象だけでなく観測装置もそれを見ている人間もすべてひとまとめにして「セット」として考える(P94)。
たとえば、電子がAという位置にある状態と、電子がBという位置にある状態が共存していたとしよう。
そのとき観測者は、(コペンハーゲン解釈のように)共存しているこの二つの外に立ち、そのどちらか一つを取りだすのではない。観測者自身が、各状態の中にいると考えるのである。
つまり電子がAという位置にある状態の中にも観測者がいる、電子がBという位置にある状態の中にも観測者がいる、といった具合で、電子と観測者は一つの「セット」として考えられる(P94)。
こうすれば、「波の収縮」を考える必要がない。確率解釈も必要ない。

コペンハーゲン解釈では「波の収縮」がいつ起こるのかということが問題になる。人間の意識によって起きると考えることさえできる。
それに対して「多世界解釈」では人間が意識しようがしまいが、どのような世界が共存しているのかは、客観的に決まっている。共存する世界がどのように発展するかは、シュレディンガーの理論で完全に記述される(P156)。
その意味で「多世界解釈」は量子力学を人間の意識とは切り放し、世界をきわめて唯物論的にとらえた考え方である(P158)。

以上が、本書の概略である。

本題と直接関係ないが、おもしろいと思ったのは、p67の次の文。
「もしごく少数の原子のふるまいがその周囲全体に影響を及ぼし、マクロの世界にまで影響を及ぼすようになっていれば、マクロの世界も確率に左右されることが大いにある。原子に関する実験装置とは、まさにそうなるように仕組まれている。(中略)
同様なことは、生命現象でもあるかもしれない。遺伝子にふくまれている情報が伝達し、生命体をつくっていく過程でも、原子の世界の確率的に起きる現象が大きな役割をはたしていることは、大いに考えられる。」
人間の「意識」に量子力学が関与しているかもしれないと論じている人がいるが、こういうことを根拠にしていたのである。

コメント:
本書によれば、唯物論的な考えを究極まで推し進めたのが「多世界解釈」で、そこでは意識といえども脳細胞の働きの一形態に過ぎない。
むしろ主流派である「コペンハーゲン」解釈の方が人間の「意識」を、他の物理現象から切り離して扱っているらしい。そうとは知らなかった。
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