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関連文献の紹介「チベット死者の書」

「チベットの死者の書」は、深層心理学者カール・ユングが絶賛して以来、欧米の人々にも広く知られるようになった。また近年では欧米での臨死体験研究者から、その体験談との一致が指摘され、改めて注目されるに至っている。
「チベットの死者の書」は、チベットで僧侶が死者の枕許で唱えて、死者の魂が迷いの世界に再び輪廻しないよう、解脱の道を差し示すものである。ここで語られていることは当然のことながら仏教(正確には金剛大乗仏教)を元としているわけである。本書は正確には『バルドウにおける聴聞(トエ)による大解脱』という。

1)
川崎信定訳、"チベットの死者の書"(筑摩書房)

この本を元にして「チベット死者の書」の要点をまとめる。
以下、「」はこの書物からの直接の引用を示す。

仏教は、生き物が死んで次の生を受けるまでに中有(ちゅうう)という状態を通ると説く。この中有をチベット語でバルドウと言う。「チベットの死者の書」によればそれはさらに以下の三段階に分かれる。

  • チカエ・バルドウ(死の瞬間の中有)
  • チョエニ・バルドウ(存在本来の姿の中有)
  • シパ・バルドウ(再生へ向かう迷いの状態の中有)

これら三つのバルドウのどこかで解脱できれば、仏の世界へ行けるが、できない魂はこれら三つのバルドウを順次通過した後に、次生(六道のどれか)へと転生して行く。六道はどこも迷いの世界であるから、死者がそこへ迷って行かないよう、解脱できるよう、この『バルドウにおける聴聞(トエ)による大解脱』を死者の耳元で説いて聞かす必要がある。

まず初めのチカエ・バルドウでは、まず第一の光明(根源の光明)が現われる。これを死者が自身の意識の本質の現われ(空にして純粋無垢である存在本来の姿、仏性)として正しく覚知すると死者はただちに解脱できる。
仏教には人間の心には本来水晶玉のように無色透明で光輝く仏性があり、本性は空であるが、煩悩の垢にまみれて光を失っているとする教えがある。修行によって煩悩を捨て去り、この本来の仏性を得て仏になろうとする教え(聖道門の教え)に対して、阿弥陀仏の力によって仏にさせてもらう教え(浄土門の教え)とがある。チベット仏教は前者の立場を取るが、死の瞬間の精神的に絶対絶命の状態下で、それを達成しようとする。
この第一の光明の期間は、罪の重い人ではほんの束の間であるが、ほとんどの人の場合三日半ほどであるから、その間、『光明のお導き』の言葉を唱えなければならない。

ここで覚ることができないでいると、さらに第二の光明が現われる。ここで解脱できるように、『光明のお導き』を繰り返すか、「...現われてくる幻影は本体を持たないものである。水に映る月のようなものだと思うべきである」と説き聞かす。

ここでも解脱できない場合には、次にチョエニ・バルドウ(存在本来の姿の中有)が現われる。これは「第三の光明のバルドウ」とも呼ばれる。ここでは業(カルマ)が引き起こす音響と色彩と光明の三つの幻影が現われて、死者を恐怖と戦慄と驚愕の三つによって錯乱させる。ここで『チョエニ・バルドウの大いなるお導き』を読んで聞かす。
「...現われてくるものがなんであっても、自分自身の意識の投影したものであると覚るべきである。これがバルドウの現出であると見破らなくてはならない。」
こうして次々に静寂尊の神群が現出してくる。まず最初に(一日目に)現われるのが、紺青色のヴァイローチャナ如来の強烈な光である。といっしょに天上界の微弱な白色の薄明りも見える。

これと同じように二日目にはアクシャービヤ如来の白色の光明と煙色の地獄の薄明りが、三日目にはラトナサムバヴァ如来の黄色の光明と人間界の青色の薄明りが、四日目にはアミターバ如来の赤色の光明と餓鬼の薄明りが、五日目にはアモーガシッディ如来の緑色の光明と阿修羅の薄明りが現われる。六日目には五仏がそれぞれの神々を伴って一斉に現われてくる。地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上の六道の薄明りも同時に現われる。七日目には、五色の光を伴ったヴィディヤーダラの神群が畜生の世界の薄明りとともに現われる。
これらの幻影が自分自身の現われにほかならないと覚れれば、仏となることができる。

以上のどこでも解脱できないと八日目から十四日目にかけて「寂静尊」が「ふん怒尊」となって現われてくる。これらが自分自身の意識の働きであると覚れば、その瞬間に仏となることができる。

チカエ・バルドウとチョエニ・バルドウで解脱するには、生前に瞑想の修練を多く実践してきていなければならない。『バルドウにおける聴聞(トエ)による大解脱』を心にかけて修練することが極めて大切である。これを完全に我がものとすべきである。

ここで覚れないと、次の「シパ・バルドウ(再生へ向かう迷いの状態の中有)」に移る。
この段階になると、意識からできている身体を持つようになるが、これは物質性を備えてはいないので、山でも建物でも何でも通り抜けることができる。またどこへでも望むところへ、思っただけで一瞬に移動できる。天人には天人のみというように「類を等しくする」もの同士だけが互いを見ることができる。
ここでは次に生まれる世界の幻影が現われるが、「その幻影の後を追随してはならない。それに執着してはならない。それを求めてはならない。汝が執着して求めるならば、汝は地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の六道の境涯を彷徨って苦しみを味わう」ことになる。 この段階で近親者や家族が泣いているのを見て話しかけるが、返事がないので、自分が死んでしまったことに気が付き、大変な苦悩が生じる。こういった状態に一週間から七週間留まる。

これでも覚れない場合は、ヤマ王の前で生前のすべての行いが鏡に映し出される。うそをついても無駄である。これら全ては自身の錯乱によって現われた幻影であると覚るべきである。そうすれば解脱できる。
しかし、過去に犯した悪業が極めて大きな人の場合は、それでも解脱を達成することは困難である。そして次第に次の生で受ける身体の姿がはっきりしてくる。「生前の行為の結果としてのカルマン(業)の力によって」次に六道のどこに生まれるかが決まる。ここで大慈悲尊を心に念ずれば、六道への再生誕生が防げる。

しかし、これもだめだと、再生への母胎に進んで行く。そこで『胎の入口を閉ざす教戒』を授けることが必要になる。これには「入ろうとする人間を妨げる方法」と「入り込まれる胎の入口を閉ざす方法」の二つがある。
しかし、こういった方法でも胎の入口を閉ざすことができない場合は、「胎の入口の選択に関する深遠な教戒」を説く必要がある。まずは、どこの国に生まれるかの選択で、仏の教えの広まっている国に生まれるように勧める。また人間界かまたは天上界に住むようにし、決して地獄、餓鬼、畜生、阿修羅界には行かずに引き返すように勧めるのである。

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