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SPA体験記 -4- 正語とエンコーディング【結】

2023年4月11日 13:53

ニックネーム:

カテゴリ:スターラインズII

ニックネーム : B
[ SPA後の「湯冷め」 ]
SPAでネガティブな想念を洗い流しても、上昇した振動数は徐々に日常のレベルに戻っていきます。高い振動数を維持して、さらに上昇させる方法を探した結果、ガイドからのメッセージ(+書籍の推奨)に加えてフランシーンさんと坂本さんからヒントをもらいましたので、これをSPA体験の最後のシェアにします。

[正語とサティヤ]
ガイドのメッセージとして、正語の重要性とその理由を様々な側面から伝えられました。
正語は仏教の八正道の一つで、嘘、陰口、誹謗中傷を戒める道徳律とされています。一方、ヨーガ八支則のヤマ(禁戒)の中でもサティヤ(Satya)として、同等の内容が説かれています。ヨーガのサティヤは道徳律であるだけでなく、ヨーガスートラの中で、サティヤを実践したヨギの言葉には世界を従わせる力が宿るとされています。一方、仏教でのサティヤ(Satya)は「諦」と訳され、正語(samyag-vāc)とは区分され、真理や悟りを意味します。
以下は、正語(言葉)が、四諦(苦諦、集諦、滅諦、道諦)全体に通じるというメッセージの紹介です。

[言葉の始まりと社会的な信念]
新生児は家族や他人との意思疎通により言葉を習得していきます。最初、言葉は他人との意思疎通の道具ですが、すぐに自身の思考も言語に依存するようになり、やがて言語以前の自身の内面を理解する事が難しくなっていきます。
言語は社会的な共有物であるため、個人の内面に社会の影響を取り込む事にもなります。心理学の観点では、自我の発達と同時に親の言葉などが内在化されて超自我を形成します。そして意識的な記憶は、表層意識から無意識へと蓄積されていきます。この過程で、言語を共有する社会集団の無意識と繋がり、社会的な性質を備えた信念体系が形成されていきます。
さらに、言葉の影響は、今生だけに留まりません。無意識化された過去世の言語的な信念は、その問題を解消するまで輪廻を望む執着として影響を持つようです。
このように、地上世界に輪廻する自我は言葉の強い影響下にあります。

[真言とロゴス]
非物質界でも言葉が存在の根底に存在します。I/Thereには複数存在の人生全体で成し遂げるテーマがあり、I/Thereクラスターのクラスター・カウンシルも、「愛」「真理」などの抽象的な概念を体現しているようです。
密教の真言(マントラ)も言葉であり、聖書の創世記では神のロゴス(はじめに言葉ありきーヨハネによる福音書ー)が記されています。
(聖書の「はじめに」という表現は、時間の最初では無く、時間に先立つ物事の始原あるいは宇宙の根源的原理を指し示すようです。)

真言宗の僧侶で仏教学者でもある宮坂宥洪は、著書『真釈 般若心経』の中で次のように記しています。
「祈りの言葉は常に真実です。(中略)これに対して普通の人間同士の言葉には噓偽りや虚飾がたくさんあります。(中略)祈りの言葉は人間同士の言葉ではありません。(中略)そしてその言葉は常に真実の言葉なのです。このような祈りの言葉をインドの古い言語、サンスクリットで「マントラ」といいます。翻訳すると、真実の言葉、すなわち「真言」です。」。このように真実の正語は真言であり、神のロゴスに繋がります。

[思考の自動再生]
人は、言葉を利用していると思いがちですが、実際には言葉によって「操作」されてもいます。自分の自我が言葉を基盤として成立しているため、言葉を使用する思考によって、自らが影響されてしまうのです。
言葉の影響は、思考や発言する瞬間だけではありません。ヘミシンク体験中に同じような雑念が繰り返し出てくるように、思考は自らを何度も再生させ続けます。言葉には、疑似生物的な自己複製・増殖の機能があります。無生物が自己複製を行う例は決して珍しいものではありません。ウイルスは代謝を行わない無生物として定義されますが、生物の体内で自分自身を複製します。狂牛病で知られるプリオンもタンパク質でありながら自己増殖して、生物の身体を侵食します。無機物でも、銀塩カメラのフィルムに使用される成分のように自己触媒機能を持つ物質は、周囲に自分と同じ物質を生成します。
これらと同様に、言語的思考である想念も人間の意識という環境下で自己複製を行っています。

[想念の浄化と再感染]
このような想念のうち、特に否定的で波動の低いものに意識が支配された場合に、浄化するための技法が多くの文化に存在します。日本の神道や仏教では、祓い(お払い)や、禊(みそぎ≒「身削ぎ」「身清ぎ」)、加持祈祷などが知られています。キリスト教では、「悪霊を追い払うこと」を意味するエクソシズム(悪魔払い)が行われてきました。これらの儀式では、非物質存在に対する言葉による依頼や祈り、勧告などの手段が用いられます。言葉による悪しき想念が、新たな言葉によって追放されます。
ただし、これらの儀式が効果を発揮しても、その状態が持続するとは限りません。ダスカロスによると、聖書の以下のくだりは、悪霊(低い波動のアストラル存在やエレメンタル)が、再度ヒトに取り付く様子を示しているといいます。(『新訳版 キリストのたとえ話 (ダスカロスによる註解書)』)
ーマタイによる福音書ー
「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。 それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」

ヨーガの立場では、表層意識を浄化しても、より深い意識層に執着の「種子(ビージャ)」が残っていると再度想念を生み出すとしており、死後に輪廻して地上世界に舞い戻る原因でもあるようです。このため、これらの種子を「焼いて」、再び芽を出さないようにする事を重視します。仏教の唯識では、思考や行為は種子(しゅうじ)に記録され、深層意識(阿頼耶識)に保持されます(薫習)。この種子は、阿頼耶識の中で作用して新たな種子を生み出します。さらには阿頼耶識を飛び出して、表層意識に影響を与えます。

このように、宗教的伝統によって表現の違いはありますが、浄化の後の振動数低下(再汚染)の様子が言及されています。このメカニズムは、F42のSPAのような高いフォーカスでの浄化でも同様です。このため、SPAのセッションと組み合わせて、振動数の低下を低減するワークを行うのが良いようです。


[マズローの欲求5段階説、クンダリーニヨーガ、レトリーバルと浄化]
お祓いや加持祈祷、エクソシズムだと、非日常的な意識状態や想念体に限定した特定分野の話のようにも思われるので、複数の視点から意識の普遍的なプロセスだという説明を加えます。
人間性心理学を創設した心理学者アブラハム・ハロルド・マズローは、生理的欲求、安全欲求、所属(愛)の欲求、尊重の欲求、自己実現欲求の5段階の欲求に沿って人間の意識が発展・成長すると考えました。彼の理論では、下位の欲求が満たされると上位の欲求へと意識の焦点が移っていきます。逆に安全欲求が満たされなければ、所属や愛を欲求する意識は健全に発達せず、所属や愛の感覚が不足した状態では自己実現欲求に基づく創造的な活動が制限されます。さらに、人間性心理学を拡張して自己実現以上の高次の意識の成長過程を加えることで、トランスパーソナル心理学が発展しました。
このメカニズムをエネルギーの観点から説明すると、クンダリニーヨーガになります。クンダリニーヨーガでは、第一チャクラのエネルギーを第七チャクラまで上昇させた後、ハートセンターに入れる事で覚醒に至るとしています。(※)クンダリニーの上昇を妨げる障壁はグランティ(結節)と呼ばれ、主なものは第一と第二チャクラの間にあるブラフマー・グランティ、第四と第五チャクラの間にあるヴィシュヌ・グランティ、第六と第七チャクラの間にあるルドラ・グランティです。(ルドラはシヴァと同一視されています。)
ブラフマ・グランティは肉体的・物質的・性的快感に対する執着であり、人間性心理学での生理的欲求や安全欲求に対応します。ヴィシュヌ・グランティは、他人との束縛や情緒的な関係性などへの執着であり、人間性心理学での所属(愛)の欲求や尊重の欲求に対応します。さらに、ルドラ・グランティは、シッディ(悟り)や霊的能力、プルシャ(真我)への執着であり、自己実現欲求やトランスパーソナル心理学における自己実現やそれ以降の高次欲求に対応します。
ヘミシンクの体験は、過去生や今生でのトラウマなどストーリーの形式をとる事が多くありますが、リリース&リチャージやF23のレトリーバルでは、安全欲求(恐れ)や生理的欲求(生物的欲望や怒り)、所属の欲求(孤独)などの低次欲求の割合が多く、F24~26の高いフォーカスレベルに進むほど、霊的執着を含む高次欲求の割合が多くなるようです。
このように、欲求・エネルギーの結節(詰まり)・トラウマ等の過去の出来事など、各精神技法によって表現は大きくは異なりますが、低次意識の未解決問題が高次の領域での意識成長を阻害し意識を低次欲求に引き戻す、その反対に、低次の意識的要請を満たす事で高次の意識成長が促進されるというメカニズムは、意識探索に共通する普遍性を持っています。
(※)クンダリニーをサハスラーラからハート・センターに導くことで覚醒するというのは、ラマナ・マハルシによる説明のようです。アリスベイリーなどの文献に記載されたチャクラの説明と比較すると、「第七チャクラ(サハスラーラ)から体外(頭上)の第八チャクラ(アセンション・チャクラ)を経由して再び体内に入りハート・センターに入る」という説明がより正確なのかも知れません。

[エンコーディングと自己催眠]
SPAで浄化した後の状態を維持し想念に再汚染されるのを避けるためには、日常の思考や言葉に気を付ける事(正語)が有効ですが、真言のように積極的に言葉の力を利用する事もできます。ヘミシンクでは、アファメーションやエンコーディング(※)がそれに該当します。
ピークウィークでは、フランシーンさんから「エンコーディングは、どのフォーカスレベルでも使う事が出来る」との説明がありました。C1で使用しても、F15での効果を発揮する事ができるようです。また、坂本さんの補足説明によると「エンコーディングは自己催眠」との事でした。催眠の技法では、潜在意識に作った仕掛けに異なる意識状態から直接働きかけることで、覚醒状態でも「ベルの音を聴いたら即座に寝てしまう。」などの現象が観察できます。エンコーディングの作用は、これと同じメカニズムが作用しているようです。C1と異なる深層のフォーカスレベルで言葉による操作を行い、フォーカスレベルを超えた言葉の影響を活用するのがエンコーディングという事のようです。言葉は深層心理に作用し、その内容によって悪い影響だけでなく望ましい影響も与えるようです。
(※)エンコーディングは、ヘミシンクCDのヒューマンプラス(『情報にアクセスする』『エネルギーにアクセスする』『メビウス・ウエスト』等)でも体験できます。

[例え話;バックグラウンドのアプリとマクロ言語]
量子力学など物理視点でのSPA体験とは異なり、思考、想念、エンコーディングは物質世界に無縁の話のようにも思えますが、物質世界のよく似た事象を、例え話としてガイドに伝えられました。
スマートフォンやPCなどの電子機器は、徐々に動作が遅くなることがありますが、この要因の一つとして、表に見えているアプリとは別にバックグラウンドのアプリが影響している場合があります。この場合は不要なアプリを終了させる事で動作が改善しますが、アプリの自動起動の設定を変更しないと、再起動する時に、再びアプリが起動してしまいます。これは、今生で回避またはある程度解消できたはずの過去世の問題が、輪廻を経た次の生で再発する状況に似ています。
無意識下の言語情報が作動するという状況は、プログラムコードのマクロ構文にも似ています。表に出ている画面やコードには表示されなくても、マクロの呼び出し宣言によって別の箇所で定義されたコードが処理されて結果に反映されます。このマクロ処理が不適切な場合は、マクロの定義コードを探して修正する必要がありますが、その反対に、マクロ機能を使いこなすと簡単な宣言で複雑な処理を実行することが出来ます。
これは、スマートフォンやPCの物理構造(ハード)ではなくソフト面の説明ですが、物質・非物質の諸身体やエネルギーの流れが人のハード面であるのに対して、エンコーディングは意識のソフトウェア的な特徴とその利用と言えそうです。

[顕薬と真言]
ここまで、無意識のエンコーディングによる振動数の低下と意識的なエンコーディング(正語)について、様々な視点からのメッセージを書いてきました。
SPA体験とエンコーディングのまとめとして、空海の言葉を引用します。

「顕薬は塵を払い、真言庫(くら)を開く」
ー(仏教のうち密教ではない)顕教は心の塵を払い、真言(マントラ)は無意識領域への扉を開くー

真言(マントラ)の由来は、マン(考える)とトラ(道具)を組み合わせた「思考の道具」、言葉を意味します。空海は言葉を単なる伝達手段と考えるのではなく、真実の実相と捉えていました。顕教での学びや瞑想により意識領域の塵を払うことで、疑いやネガティブな思考に邪魔されることなく、真言が「正語≒エンコーディング」としての効果を十分に発揮するようになります。空海の言葉をヘミシンクに翻訳すると、次のようになりそうです。
「SPA(やレトリーバル)で浄化してエンコーディングを併用すると、新たな探索の扉が開かれます!」 Plus Love Allow!!

[(追記)浄化と絶望]
エンコーディングの重要性を再確認するため、エンコーディング無しで浄化のみを完遂した人物の内面に入り込んでみた体験記を最後の文章とします。
その人は浄化を完成して深い絶望の中にいました。自己憐憫や後悔も無く、将来への僅かの期待も残っていませんでした。過去に遡って異なる選択が出来たとしても、一切の希望は存在しないとの確信がありました。
彼は大願成就のために、地位と家族を捨てました。瞑想の深奥に達し、苦行によって無意識化の執着も消滅していました。断食苦行で体を患い、断食への執着と修行仲間も手放し、彼の心の働きは停止しました。それでも彼が切望した生きる事の苦痛からの自由は手に入らない事は明らかでした。自然界の万物が目的無く流転するように、輪廻の車輪も意味も無く回転し、生まれ、老い、患い、死んでまた無意味に生まれるのです。別の生で、さらなる修行を積み重ねても、その過程を際限なく繰り返したとしても、彼の願いが成就しない事は今や明白でした。
若き日の彼は、人々が老い、患い、死んでいくのを我が事と捉え、この苦の連鎖からの離脱を切望しました。若かった彼の肉体にも老いの兆候が現れ、健康が損なわれ、彼の肉体は死に向かっていました。死から逃れるために家を出た彼ですが、もはや死を厭いませんでした。また積極的に死ぬ意味も失っていました。生と死、苦と楽は無目的に繰り返され、そこには出口や意味は無く、抵抗も自死も意味を為さないのは明らかでした。彼はただ座り、訪れる死を、歓迎も拒絶することも無くただ待ちました。
死が訪れました。彼の肉体では無く、彼の存在が死を迎えました。彼が自分だと思っていたアイデンティティが魂もろとも消失しました。アイデンティティが死んでしまったので、彼には名乗るべき名前はありません。それまで生きていた物質的な肉体が、それまでの慣性によって生命活動を続けていました。
以前の彼は、過去の記憶を抱え、未来への期待や不安を抱く事で、自分が「思考し、選択し、行為する」と考えていました。今では、自分である根拠、期待や不安、過去も未来も手放してしまったため、彼は思考・選択・行為の主体では無くなり、自身の存在の基盤を喪失していました。
世界には依然として苦が存在し万物が流転しますが、流転し苦しむ彼は消えました。苦からの解放を願う彼の想いは成就されませんが、問題を抱えた彼自身が消滅したので解決の無いまま問題が消滅しました。
自我は過去を未来に投影する事で、時間を実在のように見せかけます。宇宙の持つ無数の可能性の断片を順に並べて物語を作り出し、自らをその登場人物として錯覚します。可能性を限定して特定の選択肢に注意を振り向ける事で、自我は自らが選択者であり行為者であると錯覚します。自我がカルマの法則(原因と結果の法則)に縛られるのは、原因という名の過去から結果という未来への時間の経過という錯覚の中でしか自我が存在しえない事によります。
自我が消失してあらゆる時間と可能性の全体に溶け込む時、自我による選択や行為という幻想が消失し全体が現れました。「一切智者」の誕生でした。その知覚は、過去の原因が未来の結果に結びつくだけでなく、その反対に未来から過去へ、あるいは両立しない異なる時間軸の間での全ての事象が事事無礙に絡み合う様子を捉えていました。
一切知者の成立までに彼は彼の残滓であった全ての意図を放棄しており、彼は続いて起こるであろう肉体の死をただ待ちました。
その時、個別の魂を超えた神性あるいは全宇宙が彼の上位自己として、空の器となった彼に、衆生救済という意思を「エンコーディング」しました。それ以降、彼の教えの系統では、修行に先立って衆生への慈悲を自分自身に「エンコーディング」します。浄化の完成時にも、この慈悲心は保持され、自我や意図を失った肉体が全体の道具として機能するよう事前に設定しているのです。

コメント(2)
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aya

Bさん、体験シェアありがとうございます。
本題とはそれますが、この解説力、ほんとにすごいです。。。
それはさておき、今回は言葉がわかる、うれしいな♪と読み始めたら、とても大事なことが説明されていて、しーん・・・となりました。なんというか、背筋が伸びて心が鎮まった感じです。
全てが絡まって動いている流れにまかせ、誠実さと愛を大切に、バランス感覚と遊び感覚を持って、感謝して・・・いれたらいいなと祈ります(^^)


2023年4月13日 09:30

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B

ayaさん、コメントいただきありがとうございます。
ayaさんに記載いただいた、誠実、愛、バランス、遊び、感謝、祈り、すべてが重要なキーワードだと感じました。
どの用語も同じく一者へ繋がる道だと思いますが、その一方で、一味が持つ多彩な側面も味わいながら過ごしていきたいと思いました♬

2023年4月23日 16:40

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